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柔道:世界ろうあ武道大会100キロ以下級 県警職員・山田さん優勝 /滋賀  ◇29年ぶりの快挙 「上司・同僚、友人らのお陰」

耳が不自由な県警警務課職員、山田光穂(こうすい)さん(26)が5月24、25両日にフランス・トゥールーズ市で開かれた「第13回世界ろうあ武道選手権大会」で、柔道男子100キロ以下級に初出場し、優勝した。日本人の個人優勝は79年の初回以来29年ぶりの快挙。無差別級でも3位に入った山田さんは「柔道があったからこそ、今の私がある。家族と職場の上司・同僚、友人が支えてくれたお陰です」と話す。【後藤由耶】

 山田さんは1歳になる前に高熱を出し、耳に障害が残った。小3の時、両親が「障害を乗り越えてほしい」と柔道のスポーツ少年団を勧め、2歳上の兄と入団。「柔道で自信がついた」と振り返る。

 中学には柔道部がなかったが、進学した近江高校で再び柔道を始め、3年生で出場したインターハイでは個人戦でベスト16に入るなど才能を開花させた。

 龍谷大では柔道部の副将として活躍。卒業後は1年間、民間企業で働いたが、幼いころからの警官になる夢に少しでも近付きたいと、兄も務める県警に05年、事務職員として入庁した。

 小学校から大学まで、補聴器を着け、一般の学校に通った。会話を聞き取れない時は、相手にゆっくりと話してもらい、唇の動きを見て言葉を理解する。

 職場では、県警機関誌「みずうみ」の編集を担当する一方、平日はランニングや筋トレをこなし、休日は機動隊員や母校の近江高校の柔道部員らを相手に練習。同高では、昨年から柔道部コーチも務めている。

 ろうあ武道選手権は79年から、ほぼ隔年で開かれ、今年で13回目。柔道、空手、テコンドーの3種目に世界17カ国から約100人のろう者が出場。日本からは柔道に山田さんを含め7人、空手に4人、テコンドーに1人が参加した。

 山田さんは100キロ以下級のリーグ戦で全勝し、「得意技は内股で、一本を取るのが気持ちいい」。「相手はパワーがあったが、負ける気がしなかった」とも語る。

 次の目標は来年9月に台湾である、ろう者の国際大会「第21回デフリンピック」での優勝。「自分の頑張りで、すべての障害者が何事にも挑戦してほしい」と意気込んでいる。

毎日新聞 2008年6月4日 地方版より転載
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聴覚障害者ドライバーの車に義務付けられる標識


<聴覚障害者>運転手向けのマーク決定 警察庁


聴覚障害者ドライバーの車に義務付けられる標識

 警察庁は、聴覚障害者が運転する車に表示するマークの図柄を決め、15日公開した。6月1日施行の改正道交法で、全く耳の聞こえない人でも運転免許を取得できるようになることに伴い、他の車に注意喚起するのが狙いだ。

【特集】 クルマ高齢社会 走る側の身になって

 マークは直径12.2センチの円形で、白で縁取りした緑地に黄色のチョウの模様を配置。夜間でも識別しやすいよう、反射材を使っている。

 運転免許は、これまで一定の聴力がないと取得できなかった。改正道交法は、まったく耳の聞こえない人でも、普通自動車に限って免許が取得できるようになる。ただし、幅広のルームミラー(ワイドミラー)の装着と、運転時に車の前部と後部にこのマークの表示を義務付ける。

 ワイドミラーの装着やマーク表示を怠った場合には、2万円以下の罰金などが科される。また、マークを付けた車に幅寄せや割り込みをすると、5万円以下の罰金が科される。

 運転時のマークは、任意表示のものも含め、初心者用、高齢者用、身体障害者用に続き四つ目。【遠山和彦】

5月15日11時59分配信 毎日新聞より転載
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聴覚ハンデ越え医師試験合格

聴覚ハンデ越え医師試験合格…滋賀医大の竹澤さん

 ◆留年の試練も、友人ら支援実る

 28日に合格発表された医師国家試験で、今春、滋賀医科大を卒業した、聴覚に障害を持つ竹澤公美子さん(25)(大津市)が合格した。大学によると、2001年の医師法改正で視覚・聴覚障害者の医師免許取得が可能になってから、聴覚障害者の合格は初めて。竹澤さんは「つらいことも多かったが、友人や先生の助けで乗り切れた。同じ境遇の人の力になるため、耳鼻科医への道も考えたい」と笑顔を見せた。

 竹澤さんは兵庫県明石市出身。原因不明のまま2歳で両耳の聴覚を失った。人工内耳を装着、小中高校は普通課程で過ごし、相手の口の動きを読み取るなどしてコミュニケーションを図ってきた。中学3年の時、「失聴の理由を知りたい」と医師を志し、01年に同大学に入学した。

 2年生になって専門的な内容が増え、実習で先生の口元がマスクで見えなくなるなど、授業についていけずに留年。しかし、友人がノートを見せてくれ、大学側も講義でFM電波を利用した補聴器を使うなど、支援を続けた。竹澤さんは「心配をかけた両親に感謝したい。自分が医師としてどう働けるかを考えると、不安も多い。臨床研修も残っており、これからがスタート」と表情を引き締めた。
(2008年3月29日 読売新聞)より転載
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絵画展:難聴の奥泉志帆さん

絵画展:難聴の奥泉志帆さん、感謝の絵 あすから渋川市立図書館で14点展示 /群馬

 ◇友達、先生、家族へ…感謝の絵−−支えられ地元中学卒業

 難聴の少女が幼いころから描きためた絵が、渋川市立図書館に展示される。ハンディを抱えながらも9年間通常学級に通い、今春、晴れて地元中学校を卒業。温かな色彩で描かれた絵の一枚一枚に、家族や友達、先生への感謝の気持ちがつまっている。【伊澤拓也】

 奥泉志帆さん(15)=同市坂下=は、生まれつき両耳がほとんど聞こえない「感音性難聴」。補聴器をつけても音を聞き分けられず、普段は筆談や話し相手の口の動きでコミュニケーションをとる。

 ろう学校を勧められたこともあったが、「皆と一緒がいい」と地元の小中学校に通った。先生や友達の言葉が分からず、学校生活には困難も多かったが、今月13日、無事に卒業式を迎えた。絵画展の開催は「皆への感謝を表そう」と、母和子さんと決めた。

 絵を好きになったきっかけは、和子さんが言葉を教えるために描いてくれた4コマ漫画。2歳ぐらいからリスやコウモリの絵を描くようになった。自宅の和室で、畳に赤のマジックペンで大きな絵を描いて家族を驚かせたことも。スケッチブックは20冊を超えた。

 中学では美術部に入部し、制作に没頭した。「描いている間は絵の世界の中にいる気がする」。ハンディを忘れ、自分のメッセージを伝える方法が絵なのだという。

 作品は「組体操」など、学校生活を描いたものから、家族旅行で訪れたトルコやイタリアの風景までさまざま。「温かくて、自然に近いから」と、こげ茶色を好んで使う。将来の夢はイラストレーター。「優しい色遣いの絵を描きたい」と笑顔を見せる。

 絵画展は16日から30日まで。同図書館1階ロビーに14作品が並ぶ。和子さんは「困った時に支えてくれた皆さんへの感謝を表したかった。志帆にとっては卒業まで頑張ったご褒美です」と話す。

毎日新聞 2008年3月15日より転載
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あゆにも朗報?突発性難聴で細胞再生の世界初の治療

2月7日14時49分配信 読売新聞転載

突然耳が聞こえにくくなる突発性難聴に対し、聴覚細胞を再生する世界初の治療を、京都大病院耳鼻咽喉(いんこう)科の伊藤壽一教授らのグループが始めた。
 従来のステロイドの大量投与に代わる、安全で効果が高い治療法として期待される。

 突発性難聴のはっきりとした原因はわかっていない。歌手の浜崎あゆみさんが今年1月、突発性難聴で左耳が聞こえなくなったことを告白した。

 治療は、聴覚細胞が集まる内耳の蝸牛(かぎゅう)の膜に、細胞の成長にかかわるたんぱく質「IGF−1」を含ませたゼリー状のゲルを塗る。約2週間かけて吸収され、傷ついた聴覚細胞の死滅を防ぎ、再生させる。発症後1か月未満で、ステロイド治療で効果が出ていない20人程度に実施する予定。
 厚生労働省の2001年の調査では、突発性難聴の推定患者は約3万5000人。国の特定疾患(難病)に指定され、完治は全体の3分の1程度とされる。従来、ステロイドの大量投与による治療が行われているが、副作用に苦しむケースが多い。
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あゆ「左耳聞こえない」報道でエイベックス株に影響


 歌手の浜崎あゆみ(29)の左耳の突発性内耳障害の報道を受け、浜崎が所属するエイベックスの持ち株会社「エイベックス・グループ・ホールディングス」株が7日、活発に取引された。売買の活発度を見る出来高が、昨年12月11日以来の高数値を記録した。

 7日の出来高は26万9600株。今年最初の月曜日ということもあるが、先週金曜日(4日)の15万5600株から急増。昨年12月以降、12月11日の30万8000株に次ぐ高い数値となり、長年、エイベックスの屋台骨を支えてきた“大黒柱”の衝撃告白が、株式市場にも少なからず影響を与えた可能性もある。

 一方、この日の株価の終値は前日比13円安と微減したものの、株式市場が全体に低迷傾向なこともあり、出来高に比べて影響は少ない。01年8月にTOKIO・長瀬智也(29)と交際を宣言した際には、4日間で株価は一気に700円も下落した。結婚した場合に売り上げ減につながると危機を感じた投資家たちが敏感に反応した形だが、今回は、あゆの今後への期待をうかがわせる反応だ。

 関係者によると、もともとは10周年に向けての決意表明が告白の目的だったため、特にこれ以上の説明などは考えていないという。この日、会員制サイトに新たな書き込みはなかったが、あゆの公式ファンサイトには激励メールが殺到した。
 

1月8日8時0分配信 スポーツ報知より転載

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突発性難聴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

突発性難聴(とっぱつせいなんちょう、Sudden Deafness)とは、特別なきっかけもなく、通常片側の耳がある時突然に聞こえづらくなる病気である。

原因
内耳などに障害が生じる感音性難聴の一種と考えられているが、現在のところ原因は不明である。毛細血管の血流が妨げられ内耳に血液が十分届かずに機能不全を引き起こすという内耳循環障害説、ステロイド(感染症に対して抗炎症作用を持つ)が効果を発揮することからウィルス感染を原因とする説などがある。患者調査の傾向からストレスを原因の一つとする指摘もある。耳以外の神経症状(四肢の麻痺など)は見られない。遺伝の要素は見つかっていない。分野としてはあまり研究が進んでいないのが現状である。


[編集] 症状
「老若男女問わず、誰でもある日突然聴力を失い、その原因は不明、確たる治療法もない病気」といえる。

発症はそのとき自分が何をしていたか明言できるほど即時的(突発的)である。そのため発症時は「耳が塞がっているようだ(耳閉感)」「耳に水が入ったような感じが取れない」などと訴えて難聴と気付かない事が多く、勘違いや誤診により治療が遅れるケースが多い。

症状は軽〜重度の難聴(低音型・水平型・高音型など)と耳鳴りなどが中心であり、それに加えて音が「異常に響く」「割れる」「二重に聞こえる」「音程が狂う」など、その副症状も人によって様々である。めまいや吐き気を訴える事もある(この場合はメニエール病も疑われる)。ほとんどの場合片側のみに発症するが、稀に両側性となる場合もある。

誤解されがちな点であるが、突然の失聴が患者に与える精神的負担は極めて大きい。健康体からの突然の発症からくるショックや、耳の異常を常時自覚せざるを得ないため、深刻なストレスと精神的苦痛を常に強いられる。特に大人になってからの中途失聴は障害認識が難しく、それまで言語コミュニケーションにより築いてきた友人関係・家族関係・社会的地位などを危うくする場合もある。

なお一般的には「突発性難聴は再発しない」と言われているが、これは結果的に再発しなかったケースを逆説的に突発性難聴ととらえているだけであって、実際は治癒後に再発する患者も多い。もっともこの場合は、治癒から時間が経っていれば「2度目の突発性難聴(とは言えそれぞれの発症間に関係が全くないとは考え難い)」、短期間であれば「蝸牛型メニエール病(眩暈がなく難聴症状のみのメニエール病)や低音障害型感音性難聴等の疑いあり」などとの認識に移行するのが一般的である。その場合は蝸牛型内リンパ水腫(内耳のむくみ)も原因の候補に上がる。非常に稀なケースではあるが、両耳に発症かつ進行性難聴であれば特発性両側性感音難聴(特発性難聴)と診断される場合もある。

しかし症状が近接するほどこれらは区別できなくなり、病名が変わったところで原因不明で有効な治療法がないという点でいずれもが同様のため、判断は医師の裁量に委ねられる。あくまで突発性難聴とは「急激に発症する原因不明の感音性難聴の総称」であり、厳密に特定の症状を指した病名ではないため、専門医でも判断は慎重にならざるを得ない。

一方、発症原因が分かっている難聴として、脳腫瘍による難聴、外リンパ瘻(がいりんぱろう)、外傷性難聴、内耳梅毒、薬剤性難聴などがある。
タグ:突発性難聴
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補聴器は難聴者のシンボル

すずき かつみ(静岡県清水市三保)
みみより会元会長・東海大学名誉教授 様より引用

昨年、ある聴覚障害の機関誌で、「補聴器は難聴者のシンボル」という主張を見た。しばらくたって、ある新聞の投書欄で、難聴児をもつお母さんの投書を読んだ。
 「自分の娘は難聴で、両方の耳に補聴器をつけている。難聴といっても、恥ずかしいことではないはずだ。むしろ、補聴器を使用していると、他人にわかってもらったほうがいい。それなのになぜ、補聴器はどれも目立たない肌色なのか。なぜ、もっと目立つ赤や黄色の補聴器がないのか。もっと堂々と補聴器使用を主張したらどうか」と。

 うーん……、難聴者のシンボルねぇ、真っ赤な補聴器ねぇ……。

 わたしがはじめて補聴器を耳につけたのは高校2年の8月だった。早生れのわたしは17歳。なんと、50年も昔の話である。幼いときから難聴だったわたしにとって、補聴器の出現は大きな福音だった。
 もっとも、高校生のわたしに、最初から補聴器がすんなり使いこなせたわけではなかった。補聴器をつければ、今までは通じなかった会話がなめらかになり、いらいらすることも少なくなるだろうと、家族も本人も、はじめての補聴器に大きな期待をかけた。期待が大きかっただけに、当然、失望もあった。
 それでも、大学へ入ったら、補聴器は手放せなくなった。ただ、わたしの入った水産大学では、補聴器が使いにくくて困った。キャンパスは海の近くだったし、軽装で海辺へ出るときは、大きな補聴器を持て余した。汗、潮風、海水……周囲は補聴器の大敵でいっぱいだった。補聴器は高価な貴重品だった。
 それで、大きな真空管の補聴器が、小型のトランジスターになったときは嬉しかった。これならワイシャツのポケットにも入るし、真空管式のよりも丈夫だった。社会人になる日に間に合ってくれたのも有り難かった。
 その代わり、真空管の補聴器の、ふわりと余裕のある、おだやかできれいな音から、硬い金属的な音に変わったのには困って、馴れるまでまた、時間がかかった。
 それに、その「聞こえ」が、もう一つ、物足りなかった。自分に合う別の補聴器を探して、あちこちの補聴器屋さんを歩き回った。
 「補聴器にそんなに期待をかけられても困ります」と、突き放されたこともあったし、「一日中、寝るまでつけているとか、自動車を運転しながらとかいう使い方は、予想していないんですけどね」と正直にいう店もあった。「あなたの耳は、これでいいんですよ。これ以上は耳がこわれてしまいますよ」と、説教っぽくいわれたこともあった。
 でも、わたしはとにかく、聞かなければならなかった。聞くことに一生懸命だった。

 この原稿を書きながら、ふと思い立って、引き出しに放り込んでおいた昔の補聴器を、数えてみた。9台あった。うち3つが耳掛け型で、残り6つが箱型。ほかに現役の箱型が2台。もっとも、最初に使った真空管式の大きな箱型は2台とも、ない。トランジスターの初期のも、ない。新型に買い替えるとき、下取りしてもらったのだった。

 補聴器とつきあって最初の20年ほどは、わたしは主として、国産品のRを使っていたが、あるいきさつで、Nという補聴器屋さんのすすめる外国産に替えた。
 Nのご主人は、いい方だった。高齢になって亡くなられたが、やさしい眼をした上品な方で、わたしのとりとめのない訴えを根気よく聞いてくれ、聴力検査で聞こえの低下したわたしに、「補聴器を使いこなして下さって有難うございます」とまで、いってくれた。今使っているのも、この店ですすめられた2台の箱型で、修理に修理を重ねて、もう、20年以上になる。わたしはもっぱら、箱型補聴器の愛用者だった。
 そういえば、わたしは、この歳になるまでポロシャツを着たことがない。着たくても、箱型補聴器のユーザーには、ポケットのないウェアは着にくいのだ。補聴器をひもで首からぶらさげてもみたが、ぶらぶらして、いかにも使い勝手が悪い。女性は困るだろうなと思ったことを覚えている。それでも、わたしが箱型を愛用してきたには、理由があった。
 昔の耳掛け型補聴器は、音の利得が小さくて、ボリュームダイヤルをいっぱいにしないと、わたしには聞こえにくかった。すると、ピーというハウリング音がもれた。その音が聞こえるうちはまだよかったが、やがて、わたし自身にハウリングが聞こえなくなって、他人に迷惑をかけていることがわからなくなった。それに、耳のそばでむき出しの耳掛け型は、汗と潮風と海水になお弱かった。
 引き出しの中の耳掛け型の2つは、東南アジアの学生たちと航海したときに買ったものである。熱帯での船上生活では、箱型が使いにくかったからだが、その耳掛け型は旅行から帰ってすぐ、だめになった。
 藤沢にいたときも、金沢にいたときも、清水にきてからも、以前は、補聴器の調子がわるくなっては東京にかけつけ、海水に落としては青くなってかけつけていた。それだけ、補聴器に頼っていた。補聴器屋さんの全国展開なんて、遠い先の話だと思っていた。
 そのうち、聴力がもっと低下して、「聞こえ」への期待もあきらめ気味になった。一方で、東京へかけつけたくても、毎日の予定にしばられて、それどころじゃなくなった。
 もっとも、言葉が聞き取りにくくなってからも、わたしは補聴器を使いつづけている。「音」が補聴器で聞こえれば、読話に役立つし、会議や座談で、だれかが発言しているのも確かめられる。参加し続けられる。補聴器には、そういう使い方もあるのだ。

 大学を定年になって、1年延長の博物館長職も解かれた。と、待っていたように愛用の補聴器の1つが、完全に音が出なくなった。カタログを調べてみると、今は、箱型に劣らない利得性能の耳掛け補聴器もあるらしい。もう、海に潜ることもないし、潮風を気にする場面もないだろう。それなら、この機会にまた、耳掛け型を試してみてもいいのでは。
 それに、わたしは補聴器購入の補助金を申請したことがなかったので、年金生活者になったこの際、そのことも聞いてみよう……。
 しかし、居住地の市役所の福祉課の窓口では、がっかりした。長いこと、あれほど無礼なあしらいを受けたこともなかった。
 補助の条件を聞きたいと申し出たところ、「医者の診断書と意見書をつけて申請してもらって、こちらで審査する」という。「でもどんな補聴器がいいのか、お医者さんにわからない場合もあるのでは」と、つい聞いたのが疳にさわったのか、担当者はにわかに興奮して「すべてお医者さんが決めるんです。箱型か耳掛け型かもお医者さんが決める。申請者本人には選択の自由はないんです」と、聞きもしないことまで、高圧的にまくしたてるのには、あきれた。こんな偉ぶった応対が、今でも「障害福祉」の窓口なのか。

 一方、久しぶりに訪れた補聴器会社は、気持がよかった。店員の応対も洗練されて、親切だった。店内がユーザーでいっぱいだったのにも驚いた。順番を待つあいだ、ふと見上げた眼の先に、なんと、真っ赤なのと、真っ黄色のと、原色鮮やかな耳掛け型の補聴器が置かれていた。赤い補聴器、あったんだ。

 補聴器をつけはじめた頃、わたしは、補聴器が恥ずかしかった。携帯ラジオも、ウォークマンも、まだない時代で、大きくて目立つ補聴器とイヤーンを見る人々の眼には、あからさまな好奇心があったし、わたしの心にも強い劣等感があった。「耳が聞こえない者」の能力に対する人々の偏見も強かった。耳が聞こえなくては、だめだという。むりだという。やらせないという。並みの運動神経しかないわたしは、野球の仲間にも入れてもらえなかった。
 補聴器が気にならなくなったのは、みみより会に加わってからである。みみよりの仲間は、ひがみっぽい、動揺しやすいわたしの心に、平穏と強さを与えてくれた。会には、わたしより強く生きている人がたくさんいた。
 今でこそ、耳が聞こえなくても、補聴器をつけていても、少しも恥ずかしくはないんだと、だれもが言える時代になったが、あの頃のわたしたちは、いちいち、自分にそう言い聞かせなければならなかった。その勇気も、みみより会が分けてくれた。

 今は、もちろん、補聴器を隠したいとは、思わない。でも、目立たない方がいいと、今でもわたしは思っている。当然、それには、異論もあるだろう。聴覚障害というのは、見てもわからない障害なのだから、見てわかるようにすべきだという意見にも、一理ある。
 こういう問題には、いろんな意見と立場があっていい。ここでは、ただ「補聴器はシンボル」という、わたしにはなかった発想と勇気に感服したとだけ書いておこう。
 それと、補聴器会社で見た、ベネトンカラーの真っ赤なのと、真っ意黄色なのと、派手な色のをした耳掛け補聴器は、意外におしゃれで、とても格好よかった。
 「そうだ。赤や黄の補聴器もあっていいんだ」と、思わずひとりごとが出た。

 このごろ、補聴器の普及ぶりは、めざましい。日本中に全部で何台出ているのか、具体的な数字は知らないのだが、町を散歩すれば補聴器をつけた老人を見るし、わたしの知人に補聴器のユーザーも珍しくなくなった。ただ、そのうちの何人が、自分を聴覚障害者と思っているだろうか。
 一方で、「眼鏡をかけているのが日本人」というのは、有名な話である。その日本で、眼鏡をかけている人を、いちいち視覚障害者だとは、だれも思うまい。わたし自身、高校時代から眼鏡をかけてきた。視力0.08、でも、自分を視覚、聴覚の重複障害者だと思ったことはなかった。なぜだろう。
 眼鏡も、必要な人にはなくては困る大事な補助具なのに、だれも補聴器ほどには敬意を払わないのは、どうしてだろう。
 眼鏡が、その普及のお陰で「障害補助具」と意識されずに使われるようになったのならば、補聴器もいずれ、眼鏡と同様、もっと気軽に扱われるようになるのではないか。補聴器の普及を通して、難聴も、近視、乱視、遠視などと同列の身近な障害として、日常的に受け入れられるようになるのではないか。
 補聴器はまだ、安価とはいいがたい。おどろくほど高価な補聴器もある。でも、それをいうのなら、最高級の眼鏡の値段はもっと高い。高級補聴器の精巧な構造に対して、高級眼鏡は、ただのファッションウェアでしかない。その眼鏡が補聴器よりも高価で当然みたいなのは、そう思う「文化」に支えられているからだろう。その「文化」が、少し変われば、ファッション性も兼ねそなえた、「見せる高級補聴器」が競って現れていいはずだ。人目につかぬように、できるだけ小さな、目立たぬ補聴器を、そっとつけたい人、好きな色、好きなスタイルをえらんで、ファッションとしてつけたい人、両方のユーザーがいてもいい。そしていずれは、両方のニーズに応えられるようにもなるのではないか。
 あの、おしゃれで真っ赤な補聴器は、新しい文化の波の先触れなのかもしれない。

 この5月、ある難聴者の会合で、家庭の事情で遠くの県へ引っ越しするという老人が挨拶に立った。「この会のおかげで、わたしはとても元気になれた。これからも、難聴者のくせにどこへも出しゃばるといわれながら、どんどん、あちこちへ出てまいりたい…」
 「おいおい、今どき『難聴者のくせに、どこへも出しゃばる』はないでしょ。そりゃ、時代遅れですよ」と冷やかしながら、でも、わたしたちは今、本当に、日本文化の変わり目にいるのではないだろうかと、あらためて思ったことだった。


                      
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ベートーベン障害聴力

ベートーベンが晩年耳を患い障害聴力を負ったにもかかわらず、タクトを口にくわえて音を拾
って作曲をつづけたように音を振動に変換して聴覚器官に直接伝える補聴器の誕生です。


製品の特徴

☆自分の声が大きくて、まわりの人が困っている。
☆人の話を何度も聞き返してしまう。
☆テレビやラジオの音が聞きづらくて、ついボリュームを上げてしまう。
☆話が聞き取りにくい時がある。

骨伝導補聴器HA301の後継機「ニューきくちゃん」【ホホエミネットショップ】
タグ:聴力障害
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補聴器ばかりか助聴器や集音器も

補聴器ばかりか助聴器や集音器も 用途・機能・値段 理解して選ぼう
補聴器にもいろんな種類がある

補聴器にもいろんな種類がある
 耳が遠くなった高齢者にとって補聴器は便利だが、両耳分で50万円以上かかる高価な物もある。その一方、「助聴器」や「集音器」と呼ばれる、数万円程度の補助器具も出回っている。これらは補聴器とは性能などが異なる物で、聞こえにくさの程度、用途などをよく考えて利用する必要がありそうだ。

 補聴器メーカー団体の日本補聴器工業会の統計によると、2006年の補聴器の国内出荷台数は、前年比2.6%減の約45万9000台。高齢社会で潜在ニーズは大幅に増えているはずだが、1996年に40万台に達して以降、微増にとどまっている。その要因の1つが助聴器などで、専門家を介さずに通信販売などで売られているためと。。。。。。。
=2007/09/25付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/topics/20070925/20070925_001.shtml
タグ:補聴器
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