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補聴器は難聴者のシンボル

すずき かつみ(静岡県清水市三保)
みみより会元会長・東海大学名誉教授 様より引用

昨年、ある聴覚障害の機関誌で、「補聴器は難聴者のシンボル」という主張を見た。しばらくたって、ある新聞の投書欄で、難聴児をもつお母さんの投書を読んだ。
 「自分の娘は難聴で、両方の耳に補聴器をつけている。難聴といっても、恥ずかしいことではないはずだ。むしろ、補聴器を使用していると、他人にわかってもらったほうがいい。それなのになぜ、補聴器はどれも目立たない肌色なのか。なぜ、もっと目立つ赤や黄色の補聴器がないのか。もっと堂々と補聴器使用を主張したらどうか」と。

 うーん……、難聴者のシンボルねぇ、真っ赤な補聴器ねぇ……。

 わたしがはじめて補聴器を耳につけたのは高校2年の8月だった。早生れのわたしは17歳。なんと、50年も昔の話である。幼いときから難聴だったわたしにとって、補聴器の出現は大きな福音だった。
 もっとも、高校生のわたしに、最初から補聴器がすんなり使いこなせたわけではなかった。補聴器をつければ、今までは通じなかった会話がなめらかになり、いらいらすることも少なくなるだろうと、家族も本人も、はじめての補聴器に大きな期待をかけた。期待が大きかっただけに、当然、失望もあった。
 それでも、大学へ入ったら、補聴器は手放せなくなった。ただ、わたしの入った水産大学では、補聴器が使いにくくて困った。キャンパスは海の近くだったし、軽装で海辺へ出るときは、大きな補聴器を持て余した。汗、潮風、海水……周囲は補聴器の大敵でいっぱいだった。補聴器は高価な貴重品だった。
 それで、大きな真空管の補聴器が、小型のトランジスターになったときは嬉しかった。これならワイシャツのポケットにも入るし、真空管式のよりも丈夫だった。社会人になる日に間に合ってくれたのも有り難かった。
 その代わり、真空管の補聴器の、ふわりと余裕のある、おだやかできれいな音から、硬い金属的な音に変わったのには困って、馴れるまでまた、時間がかかった。
 それに、その「聞こえ」が、もう一つ、物足りなかった。自分に合う別の補聴器を探して、あちこちの補聴器屋さんを歩き回った。
 「補聴器にそんなに期待をかけられても困ります」と、突き放されたこともあったし、「一日中、寝るまでつけているとか、自動車を運転しながらとかいう使い方は、予想していないんですけどね」と正直にいう店もあった。「あなたの耳は、これでいいんですよ。これ以上は耳がこわれてしまいますよ」と、説教っぽくいわれたこともあった。
 でも、わたしはとにかく、聞かなければならなかった。聞くことに一生懸命だった。

 この原稿を書きながら、ふと思い立って、引き出しに放り込んでおいた昔の補聴器を、数えてみた。9台あった。うち3つが耳掛け型で、残り6つが箱型。ほかに現役の箱型が2台。もっとも、最初に使った真空管式の大きな箱型は2台とも、ない。トランジスターの初期のも、ない。新型に買い替えるとき、下取りしてもらったのだった。

 補聴器とつきあって最初の20年ほどは、わたしは主として、国産品のRを使っていたが、あるいきさつで、Nという補聴器屋さんのすすめる外国産に替えた。
 Nのご主人は、いい方だった。高齢になって亡くなられたが、やさしい眼をした上品な方で、わたしのとりとめのない訴えを根気よく聞いてくれ、聴力検査で聞こえの低下したわたしに、「補聴器を使いこなして下さって有難うございます」とまで、いってくれた。今使っているのも、この店ですすめられた2台の箱型で、修理に修理を重ねて、もう、20年以上になる。わたしはもっぱら、箱型補聴器の愛用者だった。
 そういえば、わたしは、この歳になるまでポロシャツを着たことがない。着たくても、箱型補聴器のユーザーには、ポケットのないウェアは着にくいのだ。補聴器をひもで首からぶらさげてもみたが、ぶらぶらして、いかにも使い勝手が悪い。女性は困るだろうなと思ったことを覚えている。それでも、わたしが箱型を愛用してきたには、理由があった。
 昔の耳掛け型補聴器は、音の利得が小さくて、ボリュームダイヤルをいっぱいにしないと、わたしには聞こえにくかった。すると、ピーというハウリング音がもれた。その音が聞こえるうちはまだよかったが、やがて、わたし自身にハウリングが聞こえなくなって、他人に迷惑をかけていることがわからなくなった。それに、耳のそばでむき出しの耳掛け型は、汗と潮風と海水になお弱かった。
 引き出しの中の耳掛け型の2つは、東南アジアの学生たちと航海したときに買ったものである。熱帯での船上生活では、箱型が使いにくかったからだが、その耳掛け型は旅行から帰ってすぐ、だめになった。
 藤沢にいたときも、金沢にいたときも、清水にきてからも、以前は、補聴器の調子がわるくなっては東京にかけつけ、海水に落としては青くなってかけつけていた。それだけ、補聴器に頼っていた。補聴器屋さんの全国展開なんて、遠い先の話だと思っていた。
 そのうち、聴力がもっと低下して、「聞こえ」への期待もあきらめ気味になった。一方で、東京へかけつけたくても、毎日の予定にしばられて、それどころじゃなくなった。
 もっとも、言葉が聞き取りにくくなってからも、わたしは補聴器を使いつづけている。「音」が補聴器で聞こえれば、読話に役立つし、会議や座談で、だれかが発言しているのも確かめられる。参加し続けられる。補聴器には、そういう使い方もあるのだ。

 大学を定年になって、1年延長の博物館長職も解かれた。と、待っていたように愛用の補聴器の1つが、完全に音が出なくなった。カタログを調べてみると、今は、箱型に劣らない利得性能の耳掛け補聴器もあるらしい。もう、海に潜ることもないし、潮風を気にする場面もないだろう。それなら、この機会にまた、耳掛け型を試してみてもいいのでは。
 それに、わたしは補聴器購入の補助金を申請したことがなかったので、年金生活者になったこの際、そのことも聞いてみよう……。
 しかし、居住地の市役所の福祉課の窓口では、がっかりした。長いこと、あれほど無礼なあしらいを受けたこともなかった。
 補助の条件を聞きたいと申し出たところ、「医者の診断書と意見書をつけて申請してもらって、こちらで審査する」という。「でもどんな補聴器がいいのか、お医者さんにわからない場合もあるのでは」と、つい聞いたのが疳にさわったのか、担当者はにわかに興奮して「すべてお医者さんが決めるんです。箱型か耳掛け型かもお医者さんが決める。申請者本人には選択の自由はないんです」と、聞きもしないことまで、高圧的にまくしたてるのには、あきれた。こんな偉ぶった応対が、今でも「障害福祉」の窓口なのか。

 一方、久しぶりに訪れた補聴器会社は、気持がよかった。店員の応対も洗練されて、親切だった。店内がユーザーでいっぱいだったのにも驚いた。順番を待つあいだ、ふと見上げた眼の先に、なんと、真っ赤なのと、真っ黄色のと、原色鮮やかな耳掛け型の補聴器が置かれていた。赤い補聴器、あったんだ。

 補聴器をつけはじめた頃、わたしは、補聴器が恥ずかしかった。携帯ラジオも、ウォークマンも、まだない時代で、大きくて目立つ補聴器とイヤーンを見る人々の眼には、あからさまな好奇心があったし、わたしの心にも強い劣等感があった。「耳が聞こえない者」の能力に対する人々の偏見も強かった。耳が聞こえなくては、だめだという。むりだという。やらせないという。並みの運動神経しかないわたしは、野球の仲間にも入れてもらえなかった。
 補聴器が気にならなくなったのは、みみより会に加わってからである。みみよりの仲間は、ひがみっぽい、動揺しやすいわたしの心に、平穏と強さを与えてくれた。会には、わたしより強く生きている人がたくさんいた。
 今でこそ、耳が聞こえなくても、補聴器をつけていても、少しも恥ずかしくはないんだと、だれもが言える時代になったが、あの頃のわたしたちは、いちいち、自分にそう言い聞かせなければならなかった。その勇気も、みみより会が分けてくれた。

 今は、もちろん、補聴器を隠したいとは、思わない。でも、目立たない方がいいと、今でもわたしは思っている。当然、それには、異論もあるだろう。聴覚障害というのは、見てもわからない障害なのだから、見てわかるようにすべきだという意見にも、一理ある。
 こういう問題には、いろんな意見と立場があっていい。ここでは、ただ「補聴器はシンボル」という、わたしにはなかった発想と勇気に感服したとだけ書いておこう。
 それと、補聴器会社で見た、ベネトンカラーの真っ赤なのと、真っ意黄色なのと、派手な色のをした耳掛け補聴器は、意外におしゃれで、とても格好よかった。
 「そうだ。赤や黄の補聴器もあっていいんだ」と、思わずひとりごとが出た。

 このごろ、補聴器の普及ぶりは、めざましい。日本中に全部で何台出ているのか、具体的な数字は知らないのだが、町を散歩すれば補聴器をつけた老人を見るし、わたしの知人に補聴器のユーザーも珍しくなくなった。ただ、そのうちの何人が、自分を聴覚障害者と思っているだろうか。
 一方で、「眼鏡をかけているのが日本人」というのは、有名な話である。その日本で、眼鏡をかけている人を、いちいち視覚障害者だとは、だれも思うまい。わたし自身、高校時代から眼鏡をかけてきた。視力0.08、でも、自分を視覚、聴覚の重複障害者だと思ったことはなかった。なぜだろう。
 眼鏡も、必要な人にはなくては困る大事な補助具なのに、だれも補聴器ほどには敬意を払わないのは、どうしてだろう。
 眼鏡が、その普及のお陰で「障害補助具」と意識されずに使われるようになったのならば、補聴器もいずれ、眼鏡と同様、もっと気軽に扱われるようになるのではないか。補聴器の普及を通して、難聴も、近視、乱視、遠視などと同列の身近な障害として、日常的に受け入れられるようになるのではないか。
 補聴器はまだ、安価とはいいがたい。おどろくほど高価な補聴器もある。でも、それをいうのなら、最高級の眼鏡の値段はもっと高い。高級補聴器の精巧な構造に対して、高級眼鏡は、ただのファッションウェアでしかない。その眼鏡が補聴器よりも高価で当然みたいなのは、そう思う「文化」に支えられているからだろう。その「文化」が、少し変われば、ファッション性も兼ねそなえた、「見せる高級補聴器」が競って現れていいはずだ。人目につかぬように、できるだけ小さな、目立たぬ補聴器を、そっとつけたい人、好きな色、好きなスタイルをえらんで、ファッションとしてつけたい人、両方のユーザーがいてもいい。そしていずれは、両方のニーズに応えられるようにもなるのではないか。
 あの、おしゃれで真っ赤な補聴器は、新しい文化の波の先触れなのかもしれない。

 この5月、ある難聴者の会合で、家庭の事情で遠くの県へ引っ越しするという老人が挨拶に立った。「この会のおかげで、わたしはとても元気になれた。これからも、難聴者のくせにどこへも出しゃばるといわれながら、どんどん、あちこちへ出てまいりたい…」
 「おいおい、今どき『難聴者のくせに、どこへも出しゃばる』はないでしょ。そりゃ、時代遅れですよ」と冷やかしながら、でも、わたしたちは今、本当に、日本文化の変わり目にいるのではないだろうかと、あらためて思ったことだった。


                      



posted by 補聴器, 魅せる補聴器の時代て何なのさ!! at 12:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 補聴器について
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